ハッピー・ライフ・ダイアリー

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猿若祭二月大歌舞伎昼の部@歌舞伎座

野崎村。鶴松のお光がすごくいい!!出だしの可憐さ、子供っぽい焼きもちを見せてたのが、決心して髪を切ってからは一転、泣かせる抑えた演技。最後、父上にすがりついて泣くところは思わず涙がこぼれた。児太郎は、少し太った?貫禄がありすぎて、お染が「おかみさん」に見えてしまう。七之助弥十郎は安定。東蔵がセリフ忘れて「何?」と黒子を呼び出してたのはご愛敬。

籠釣瓶。次郎左衛門は演じる人によって、描かれ方が違う役柄。吉右衛門は、よい人が、追い詰められてキレる感じ。菊五郎は裏切られたことへの恨みを募らせ計画的に犯行を実行するタイプ。勘九郎は、善悪両面の二重人格者。意図したものではないのかもしれないが、見初めのシーンから「男として征服したい」という欲望がちらりと見え、切り付けるシーンは完全に黒い人格が表れる。後半がとても良い。
七之助の八ツ橋はキレイで、縁切りの際は冷たさが際立ってよい。

さて、後部の席に歌舞伎の劇評を書いてると思しきおじい様が座っており、隣の編集者と思わしき若者に色々解説していた。備忘録として
・野崎村の最後にお光がなく演出は6代目が取り入れた。あきらめきれないという表現で近代的。それ以前は黙って、受け入れてたのだ。

・釣女は十七代目の当たり役。とにかく、セリフが聴こえないくらい客席が笑いころげて、治まらなかった。どこがおもしろかったか思い出せないけど、とにかく笑った。

玉三郎の八ツ橋はきれいだけど、歌右衛門のような冷たさがなかった。今日の勘九郎も頑張ってるけど、中くらいだな。

・浅草の歌昇の熊谷はよかった。小さな身体が大きくみえてきた。
・5-6歳からお稽古してないときつい世界。中車は歩き方も違うし、三味線にも乗れない。團子も10歳ごろから始めてるから基本がたりない。

最近思うのだけど、自分のツボと劇評が合わない。Xで同世代と思われている人々の感想の方がシックリくる。育った環境、他の文化の影響などがあるのだろう。釣女なんて、完全にルッキズムで、今、教育を受けている世代は笑えない。そして、獅童芝翫の演技は古典的な伝統から外れていると感じるが(特に、舞踊が得意でない二人が演じているので、特に感じるのだが・・)、それは悪いことはないと思う。もう一工夫があってもよいか?
勘九郎の刀さばきはかっこいいと感じるが、「アニメ」的でもある。こういうのは年配の歌舞伎ファンには受け入れられないだろうなあ。
時代とともに演出をかえていく必要を感じつつ、どこまで変えるべきなのか??難しい問題だね。