ハッピー・ライフ・ダイアリー

茶道・歌舞伎・江戸絵画など・・

四月大歌舞伎 昼の部@歌舞伎座

三演目とも充実。大満足。
引窓:何度も見た演目。今回は心に染みた。松緑の濡髪長五郎・・小さいのではないかと思ったが、実の親への孝をたてるために、与兵衛への義理がたたなくなる・・板挟みになり悩む心の変化を細やかに表現。東蔵さんは、母親の情の厚さを豊かに表現。梅玉の与兵衛は安定。
七福神は、若手で華やかに。いつの間にか、隼人が毘沙門としてかっこよく貫禄を示しており大きく成長。歌昇がニコニコの恵比寿、他のメンバーも笑顔で踊る楽しい演目。
夏祭浪花鑑。昨夏、博多で観たときよりも、各々が充実、劇団としてのまとまりのある内容に。後味が悪い話ではあるので、正直、好きな話ではないのだが、愛之助の文字通りの熱演に最後まで目が離せない。巳之助の下剃三吉から、歌六の三婦、菊之助の徳兵衛はもちろん、米吉、苔玉、種之介と脇もしっかり。義兵衛はどこまでも憎たらしく、団七が追い詰められ、そして、「キレル」瞬間も明確に。愛之助のアタリ役になったな。団七が。

三月大歌舞伎昼の部@歌舞伎座

とにかく、良かった!

寺子屋は新悟が抜擢に応えて、戸浪を熱演。感情を豊かに表現。愛之助との息もあっている。品格ある梅枝の千代。菊之助も、どこかに品格を漂わす美しい松王で悲しみが一入。鷹之資の涎くりもチャーミング。

御浜御殿は素晴らしい。仁左衛門さんは相変わらず、美しく、チャーミングで小憎らしく、そして貫禄もある綱豊卿。幸四郎の助右衛門も生意気で骨もある武士ながら愛嬌もたっぷり。歌六の白石も先生としての貫禄と表情で、ストーリーを支える。
今回、「あぁ・・そういうことか・・」とセリフ劇の内容に一つ一つ納得。役者が揃ったからか、はたまた、自分が成長したからか・・。現代にも通じる真山青果の脚本に震えた。そう、理由のない、義のない仇討ちは世間の共感を得られない・・。

本阿弥光悦の大宇宙

圧巻は「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」。圧倒的に宗達の鶴の絵が素晴らしい。水辺を飛び立ち、途中で視点が変わり、大空を飛ぶ鶴をとらえ、最後は対岸に着地して立つ鶴たち。動き、バランス、視点が2回変わるにも関わらず絵巻として破綻していない。そこに歌を書きこむ光悦のプレッシャーも半端なかったであろう。鶴が混みあっているところは太い字を中心に文字も詰め込み、余白の部分は細い字でちらして文字を入れる。でも、抜けた歌があったり(途中で2句書き込み)、最後は大きな文字になったり。それでも、やっぱり踊るような文字たちは美しく光悦の自由さが窺えた。
茶碗は、乙御前、弁財天(筒)、紙屋(斑模様)、白狐(白い環入り多い)、加賀、雨雲(斜めの線)、時雨(雨雲に形はにるが白っぽい)、村雲(雨雲より形にぬけがあり)。どこまでが、作為で、どこまでが自然の変化なのか?かっちりした形のものもある中で、丸い形に作為したものの、窯での変化を楽しんでいるようにも見える。
その他、多数の光悦の書状、光悦蒔絵(と言われるもの・・)、謡本など。

織田有楽斎@サントリー美術館

有楽と小伝院に係る展示。有楽に関しては美術品よりも書状類などが多い。古文書読み込みの勉強になる。有楽自作の茶杓は、櫂先の左側が緩めの削り。腰は削っても浅め。端正なよい茶杓が多い。花押入の伝自作茶碗も展示されていたが、こちらは出来栄えがよくないので、自作か疑問。有楽井戸、青磁の茶碗「鎹」はよき。茶入れは「玉垣」「残月」「宗吾茄子」が有楽由来のものとして展示。宗吾茄子は思いの他大きい。残月は端正。玉垣は、大阪の陣で木っ端みじんになったものを藤重親子が継いだもの。素朴で小さな感じ。
狩野山楽の襖絵がよし。寺に伝わる墨蹟・茶道具は今ひとつかな・・。

立春歌舞伎特別公演 昼の部@松竹座

愛之助が大奮闘。義賢も実盛も貫禄と円熟味が出てきてよい。義賢の激しい動きがいつまでできるか・・。
吉太朗くんが大成長。侍ぶりが華やか。立ち回りも小さな身体を大きく使って見事。
壱太郎の小万は安定。千寿の葵御前も高貴な風情で百姓一家との対比を際立たせる。雁次郎の妹尾がよき。後半の親としての愛情表現が泣かせる。
なんといっても子役ちゃんが大活躍。子供らしく楽しそうに演じていて、馬に乗ったところは、本心から喜んだた。

猿若祭二月大歌舞伎昼の部@歌舞伎座

野崎村。鶴松のお光がすごくいい!!出だしの可憐さ、子供っぽい焼きもちを見せてたのが、決心して髪を切ってからは一転、泣かせる抑えた演技。最後、父上にすがりついて泣くところは思わず涙がこぼれた。児太郎は、少し太った?貫禄がありすぎて、お染が「おかみさん」に見えてしまう。七之助弥十郎は安定。東蔵がセリフ忘れて「何?」と黒子を呼び出してたのはご愛敬。

籠釣瓶。次郎左衛門は演じる人によって、描かれ方が違う役柄。吉右衛門は、よい人が、追い詰められてキレる感じ。菊五郎は裏切られたことへの恨みを募らせ計画的に犯行を実行するタイプ。勘九郎は、善悪両面の二重人格者。意図したものではないのかもしれないが、見初めのシーンから「男として征服したい」という欲望がちらりと見え、切り付けるシーンは完全に黒い人格が表れる。後半がとても良い。
七之助の八ツ橋はキレイで、縁切りの際は冷たさが際立ってよい。

さて、後部の席に歌舞伎の劇評を書いてると思しきおじい様が座っており、隣の編集者と思わしき若者に色々解説していた。備忘録として
・野崎村の最後にお光がなく演出は6代目が取り入れた。あきらめきれないという表現で近代的。それ以前は黙って、受け入れてたのだ。

・釣女は十七代目の当たり役。とにかく、セリフが聴こえないくらい客席が笑いころげて、治まらなかった。どこがおもしろかったか思い出せないけど、とにかく笑った。

玉三郎の八ツ橋はきれいだけど、歌右衛門のような冷たさがなかった。今日の勘九郎も頑張ってるけど、中くらいだな。

・浅草の歌昇の熊谷はよかった。小さな身体が大きくみえてきた。
・5-6歳からお稽古してないときつい世界。中車は歩き方も違うし、三味線にも乗れない。團子も10歳ごろから始めてるから基本がたりない。

最近思うのだけど、自分のツボと劇評が合わない。Xで同世代と思われている人々の感想の方がシックリくる。育った環境、他の文化の影響などがあるのだろう。釣女なんて、完全にルッキズムで、今、教育を受けている世代は笑えない。そして、獅童芝翫の演技は古典的な伝統から外れていると感じるが(特に、舞踊が得意でない二人が演じているので、特に感じるのだが・・)、それは悪いことはないと思う。もう一工夫があってもよいか?
勘九郎の刀さばきはかっこいいと感じるが、「アニメ」的でもある。こういうのは年配の歌舞伎ファンには受け入れられないだろうなあ。
時代とともに演出をかえていく必要を感じつつ、どこまで変えるべきなのか??難しい問題だね。

浅草歌舞伎

松也の宗五郎は、まだ粗削りだが、今後期待できる酔っ払いぶり。蝙蝠安も軽薄さが前面にでている感じが「こういう人、いるいる。」と思わせて良かった。村上保先生には厳しいコメントが出ていたので、現代的な軽薄さということなのだろう。現代の人間には、軽薄な蝙蝠安の方が受け入れやすい。
隼人は二枚目!!仁左衛門さん路線を引き継ぐのだろう。浅草10年目と挨拶していたが、この10年で本当に伸びた。慎吾も女形として大きく成長。世話物も時代物も脇役女形で安定感抜群で大活躍。米吉はお姫様がぴったり。十種香の八重垣姫も少女の恐ろしいまでの一途さと可憐さが程よく表現されていてよかった。(ただ、十種香は動きがないので、どうしても眠っちゃうんだけど・・)
歌昇くんは、吉右衛門さんの演技をきっちりなぞっている熊谷。もっと年齢を重ねると味わいがでてくるだろう。まだまだ、力いっぱいで見ている方も力を抜くところがなく肩に力が入る。
巳之助・種之助は踊りで見せる。今回は舞踊以外は脇役だったが、これから大きな役も務めてほしい。

松也が座頭になって10年。その前の10年を支えた、中村屋兄弟、愛之助たちも大きな役を務めている。皆さんの飛躍に大きく期待。
そして、来年以降は、橋之助・莟玉を中心に若手座組をされる様子。さて、誰が出てくるのだろう??